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嫌いな英語第3位

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つい毒舌のほうが筆が乗る齋藤圭子。。。
いかんね。自分の中身が、賞賛より否定に傾いているのは、
美しくなくて反省。
でも嫌いな英語3位から1位まで、
長過ぎると思ったので一個づつ紹介します。


嫌いな英語 第3位 I gotta go.

「私は行かなくてはならない」→「I have got to go.」 
のスラング発音&表記。

会話ではアイ、もほとんど発音せず、「ガタゴー」、となります。
これをリズム良く言うと、
さも私は忙しい予定で埋まっていて、
残念だけれどケツカッチンだからもう行くよ、みたいなニュアンスになる。
そしてアメリカ人は自分は人気者で沢山のパーティに呼ばれているんだ、
みたいな証明を日々アピールしないと友達も出来ないという異常社会なので、
まあ用事なんてねー高校生まで、
「well, gotta go.」とかゆーんだな。

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「行かなくてはならない」
と言う程の本当の用事があるのは
英語圏内でスティーブ・ジョブスく
らいで、
他のほとんどの凡人に「がたごー」、
なんてリズム良く言うほどの
ごたいそうな用事なんてない。
忙しそうに歩くニューヨーかきどりの凡人の多くが、
本当はそんなに急がなければいけない事など持っていない。
がたごー、と言われると、
「どーぞ、
あなたがいなくなっても全く困らないので早く行けば」と思ってしまう。

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私は gatta go とは絶対言わない。
若いアメリカ人と話している時々出ちゃうけど、
言った後必ず あーーっ言っちゃった、
バカなアメリカ人みたい、と思って自分を恥じる。

私はなるたけ、品位を持って微笑んで
「I'm afraid I must be going now.」とか、
英語を話していても心は茶道の精神で、
「おいとまします」みたいなエレガントな言い回しを心がけている。
「ネイティブみたいな英語を喋る事」になんか興味がないので
(→アメリカの平均国民と同等になんかなりたくないので)、
通常の生活では使わないイギリス貴族みたいな言い回しを、わざと使う。

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青山のレストラン「レ・クリスタリーヌ」でフォークを落とした時に、
フランス人のウェイターに
「 Ecxcusez-moi.  May I have a new folk.」とにっこり。
落ちたフォークを
一切見ずにフランス人ウェイターに拾わせた時、
同席していた国連UNHCR事務局長に
「発音も態度も高慢なイギリス人みたいだ。」
と言われ、
ふむ、狙ってる路線が効を成して来たな、と悦に入った物だった。

皆さんもアメリカ人に「gotta go」と言われたら、
「お前ごとき小動物に、急ぎの用の何があるねん。」
と心の中でつっこむ事を忘れずに。


どんだけアメリカ人の事嫌いやねん。。。
にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ
と自分でも思いますね(^^;)
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作家ジョージ・サウンダー氏の卒業生への言葉を暗記して言ってみよう

 アメリカの高校に通うと、
歴史上の名スピーチの一部を、暗記させられる。

リンカーンのThe Gettysburg Addressとか
(あの「
人民の、人民による、人民のための政治
(government of the people, by the people, for the people)
」てやつ。)
ケネディのThe Inaugural Addressとか。

きっと今の高校生はオバマ大統領の
「Yes, we can!」の一節とかを暗記してるんだろうな。

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ハイスクール当時はいやいややっていたけれど、
振り返ると英語力アップに役だったと思う。
やはり名文なので、
感情を込めて言うとパワーが自分に乗り移って、
英語のリズムやソウルを吸収することが出来る。

高校ではあまり推奨されないんだけど、(結局白人社会なので)、
マーチン・ルーサー・キングの
「I have a dream!」なんて
テンションや発音までマネして言ってみると最高!だよね。

imgres-2_201311301041132aa.jpg 

今さっきネットで「作家George Saunder氏が
シラキュース大学で行った卒業生達へのスピーチが
大きな感動を呼びネットで大反響」

と知り読んでみたら、めちゃ面白かった。
ケネディみたいないい子ちゃんスピーチでなく
なんか日本で言えば立川談志さんみたいな話し方。
自分で時折見返して、感情込めて言ってみる英語の名文としてブログにメモします。
私が好きなパートは、緑色にしてあります。
興味ある人は同じ様に声に出して言ってみて下さい。
感情のこもった英語力向上に役立つよ!

日本語訳の次に、英語の原文転載。

ICHIROYAさんのブログから引用。(日本語訳:大島)とあるがどなたか不明。

おまえら、おやじっていうのは、金づるだとしか、思っちゃいねえだろう?
てか、昔のロック、The Whoのヒット曲を思い出せないときに尋ねたり、
まあ、出番っちゃあ、そんなとこだ。

で、たまたま気が向いたら、
「このおやじはなんでこんなんになっちまったのかな?」っていう興味がわいて、
「人生で、一番、後悔してることは、何?」なんて失礼な質問をぶつけてきたりする。

ま、もちろん、そんな質問されなくても、こっちから言い聞かせてやることも多いし、聞きたくないって言われたら、ふんづかまえてでも、話してやりたくなるのさ。

で、おれ。
まあ、「成功した」と思われてる作家のおれだけど、
おれが、人生で、一番後悔してることは、なんだと思う?


たまに、ビンボーしてたこと? えげつない仕事に明け暮れたこと?
あ、あれか。スマトラで川に落っこちて、それを300匹のサルたちに笑われたとき?
そうさ、あいつら、盛大に川にウンチをしやがって、その水を飲んでしまったおれは、病気になって、7か月も入院したんだ。
あのときの大失態か?

そんなことじゃない。

あれは、中学校1年のときだった。
エレンちゃんが転校してきた。エレンちゃんは、
おばんしかしないような大きな眼鏡をして、いつも、ピリピリしてて、
金髪の髪を口にもっていって、噛んでた。

クラスのやつも、近所の連中も、ほとんど、彼女を無視した。
そして、たまに、からかった。「お前の、髪、いい味する?」ってね。

いや、もちろん、おれは、そんなことには加担しなかった。
どちらかといえば、そんなことから、彼女を守ろうとした。
だけど、何もしなかった。
でも、もちろん、知ってたんだ。
彼女が、朝、学校へ行く前、家を離れて学校へいくことを、
まるで恐れるように、家の前庭で立ち止まっているのを。


そのうち、彼女は、いっちまった。
転校して、いなくなった。

まあ、それだけの話だ。
そして、そいつが、42年経った今でも、忘れられないんだ。

おれが、人生で、一番、後悔しているのは、そういうこった。
なんで、あの時、親切になれなかった、ってことなんだ。


さすがに、いまじゃ、おれの目の前に、ひどく困った人間が現れたら、すんなりと同情できるし、親切に、やれることをやる。

じゃあ、なぜ、親切になるのが難しいのか?
ダーウィン流に、生き残るための間違った意識が
遺伝子のなかに組み込まれているんだと、おれは推測している。

つまり、こんな風に、でっかい間違いを思い込んでる

(1)自分こそが世界の中心だ  
(2)自分は世界から切り離された存在だ
(3)自分の命に終わりはない

頭じゃ、わかっているのさ、誰でも。
でも、本能的に、そう考えて行動しちまうのが、人間てものなのさ。


どうやったら、そいつを払しょくできるかって?
そいつは難しい問題だ。
子犬を飼ってみるとか、いろいろあろうぜ。
でも、スピーチの時間も3分を切ったんで、あたりまえの方法を言うより先にすすむぜ。まあ、それについちゃ、自分でも考えてみるこった。


まあ、しかし、この件についちゃ、ちょっと素敵なこともあるぜ。
おれたちは、歳をとると、自然に、ある程度は、「親切に、やさしく」なるもんだ。
人生、いろいろと辛いことがあっても、助けられることだってあって、
社会とつながってるし、みんな助け合って、
生きているんだっていうことが、実感できるようになるんだ。

知り合いが、ポロポロと死んでいきゃあ、否が応でも、
自分もそのうち、あちら側へ行くことが、実感として、わかるようになるしな。

そう、おれみたいな人間でも、そいで、たいていの人間は、
歳をとると、優しくなるものさ。



ひとつ教えておいてやるぜ。
なんだかんだ言ったって、おまえのその「おれがおれが」っていう利己心は、
歳をとるにしたがって、いつか薄れていく。

で、お前の存在の中心にあった「おれ」は・・・・照れくさいが、
はっきり教えてやるぜ、「愛」に置き換わっていることに気づくだろう。

おまえら、思ってるだろう?
なんで、父ちゃんと母ちゃんは、たいしたこと成し遂げてないのに、
あんなに幸せそうなんだろう、って。

お前の父ちゃんと母ちゃんの中心は、いまのお前の「おれ」じゃなくって、
「お前に対する愛」に置き換わってるんだぜ。
だから、あんなにも、幸せそうなんだ。

ほら、全然、わかっちゃいないだろう?
で、お前も、そうなるんだぜ。


まあ、ともかく、卒業、おめでとう。
で、もちろん、お前ら、これから社会に出て、成功したいって、思ってるよな。
いい大学出て、いい会社に入って、きれいな嫁さんや、稼ぎのいい旦那を見つけて・・・
そして、もちろん、天職をみつけて、その分野で成功したいと思ってる。
それでいいんだ。
がんばれよ!


でも、知っておいたほうがいいぜ。
その種の成功は、カゲロウみたいなもんだ。
知ってるだろう?
カゲロウってやつは、それを目指して、いくら歩いても、
どんどん遠ざかって、結局到達できない。

「成功」を追っかけて、「成功」は手にしたけど、それが思っていたもんじゃなかった、って場合もある。
いわゆる「成功」だけを追っかけてると、人生、間違えることもあるんだ。


だから、おれがお前らに、頼みたいのは、こういうことだ。
どうせ、お前らは、歳とともに、親切な、利己的でない人間に、なっていくんだ。
いくら、お前が、いま、親父やおふくろを理解できなくてもな。
だから、そいつを、急げ、そのスピードを上げろって。

なにも、「成功」を追っかけるな、と言ってるんじゃないんだ。

金持ちになれ、名誉を求めよ、胸を焦がす愛に落ちよ、旅をせよ、
革新をおこない、リーダーシップをとれ!

そして、裸でジャングルの川で存分に遊べ!
(ただし、サルたちのうんちには気をつけろよ)

だけど、やがて、歳とともに、自分の中で大きくなる光、
人のことを深く思いやるお前の芯にある灯、そいつの存在を信じて、
大切に育てることを忘れちゃいけない。

それを大きく、大きく育てるんだ。
大きな問題に直面して迷った時、その光の照らす方へ進め。
それこそが、お前を大きな成功に導くはずだ。

そして、万一、社会的な成功が、お前の目前で、だれかほかのものの手に落ちたところで、どうだというんだ?
その灯を育てること、その輝きを放つこと以上に、大切なことなんてない。
そして、いつか、
シェイクスピアのように、ガンジーのように、
マザー
テレサのように、その灯を、まぶしいばかりの輝きにするんだ。


そして、お前が80才になったとき。
110才になったおれがもし生きてたら、
「おれの人生は、素晴らしかった」って聞かせてくれよな。


卒業、おめでとう!


英文全文 
New York Times Magazin web
から引用

Down through the ages, a traditional form has evolved for this type of speech, which is: Some old fart, his best years behind him, who, over the course of his life, has made a series of dreadful mistakes (that would be me), gives heartfelt advice to a group of shining, energetic young people, with all of their best years ahead of them (that would be you).

And I intend to respect that tradition.

Now, one useful thing you can do with an old person, in addition to borrowing money from them, or asking them to do one of their old-time “dances,” so you can watch, while laughing, is ask: “Looking back, what do you regret?”  And they’ll tell you.  Sometimes, as you know, they’ll tell you even if you haven’t asked.  Sometimes, even when you’ve specifically requested they not tell you, they’ll tell you.

So: What do I regret?  Being poor from time to time?  Not really.  Working terrible jobs, like “knuckle-puller in a slaughterhouse?”  (And don’t even ASK what that entails.)  No.  I don’t regret that.  Skinny-dipping in a river in Sumatra, a little buzzed, and looking up and seeing like 300 monkeys sitting on a pipeline, pooping down into the river, the river in which I was swimming, with my mouth open, naked?  And getting deathly ill afterwards, and staying sick for the next seven months?  Not so much.  Do I regret the occasional humiliation?  Like once, playing hockey in front of a big crowd, including this girl I really liked, I somehow managed, while falling and emitting this weird whooping noise, to score on my own goalie, while also sending my stick flying into the crowd, nearly hitting that girl?  No.  I don’t even regret that.

But here’s something I do regret:

In seventh grade, this new kid joined our class.  In the interest of confidentiality, her Convocation Speech name will be “ELLEN.”  ELLEN was small, shy.  She wore these blue cat’s-eye glasses that, at the time, only old ladies wore.  When nervous, which was pretty much always, she had a habit of taking a strand of hair into her mouth and chewing on it.

So she came to our school and our neighborhood, and was mostly ignored, occasionally teased (“Your hair taste good?” – that sort of thing).  I could see this hurt her.  I still remember the way she’d look after such an insult: eyes cast down, a little gut-kicked, as if, having just been reminded of her place in things, she was trying, as much as possible, to disappear.  After awhile she’d drift away, hair-strand still in her mouth.  At home, I imagined, after school, her mother would say, you know: “How was your day, sweetie?” and she’d say, “Oh, fine.”  And her mother would say, “Making any friends?” and she’d go, “Sure, lots.”

Sometimes I’d see her hanging around alone in her front yard, as if afraid to leave it.

And then – they moved.  That was it.  No tragedy, no big final hazing.

One day she was there, next day she wasn’t.

End of story.

Now, why do I regret that?  Why, forty-two years later, am I still thinking about it?  Relative to most of the other kids, I was actually pretty nice to her.  I never said an unkind word to her.  In fact, I sometimes even (mildly) defended her.

But still.  It bothers me.

So here’s something I know to be true, although it’s a little corny, and I don’t quite know what to do with it:

What I regret most in my life are failures of kindness. 

Those moments when another human being was there, in front of me, suffering, and I responded…sensibly.  Reservedly.  Mildly.

Or, to look at it from the other end of the telescope:  Who, in your life, do you remember most fondly, with the most undeniable feelings of warmth?

Those who were kindest to you, I bet.

It’s a little facile, maybe, and certainly hard to implement, but I’d say, as a goal in life, you could do worse than: Try to be kinder.

Now, the million-dollar question:  What’s our problem?  Why aren’t we kinder?

Here’s what I think:

Each of us is born with a series of built-in confusions that are probably somehow Darwinian.  These are: (1) we’re central to the universe (that is, our personal story is the main and most interesting story, the only story, really); (2) we’re separate from the universe (there’s US and then, out there, all that other junk – dogs and swing-sets, and the State of Nebraska and low-hanging clouds and, you know, other people), and (3) we’re permanent (death is real, o.k., sure – for you, but not for me).

Now, we don’t really believe these things – intellectually we know better – but we believe them viscerally, and live by them, and they cause us to prioritize our own needs over the needs of others, even though what we really want, in our hearts, is to be less selfish, more aware of what’s actually happening in the present moment, more open, and more loving.

So, the second million-dollar question:  How might we DO this?  How might we become more loving, more open, less selfish, more present, less delusional, etc., etc?

Well, yes, good question.

Unfortunately, I only have three minutes left.

So let me just say this.  There are ways.  You already know that because, in your life, there have been High Kindness periods and Low Kindness periods, and you know what inclined you toward the former and away from the latter.  Education is good; immersing ourselves in a work of art: good; prayer is good; meditation’s good; a frank talk with a dear friend;  establishing ourselves in some kind of spiritual tradition – recognizing that there have been countless really smart people before us who have asked these same questions and left behind answers for us.

Because kindness, it turns out, is hard – it starts out all rainbows and puppy dogs, and expands to include…well,everything.

One thing in our favor:  some of this “becoming kinder” happens naturally, with age.  It might be a simple matter of attrition:  as we get older, we come to see how useless it is to be selfish – how illogical, really.  We come to love other people and are thereby counter-instructed in our own centrality.  We get our butts kicked by real life, and people come to our defense, and help us, and we learn that we’re not separate, and don’t want to be.  We see people near and dear to us dropping away, and are gradually convinced that maybe we too will drop away (someday, a long time from now).  Most people, as they age, become less selfish and more loving.  I think this is true.  The great Syracuse poet, Hayden Carruth, said, in a poem written near the end of his life, that he was “mostly Love, now.”

And so, a prediction, and my heartfelt wish for you: as you get older, your self will diminish and you will grow in love.  YOU will gradually be replaced by LOVE.   If you have kids, that will be a huge moment in your process of self-diminishment.  You really won’t care what happens to YOU, as long as they benefit.  That’s one reason your parents are so proud and happy today.  One of their fondest dreams has come true: you have accomplished something difficult and tangible that has enlarged you as a person and will make your life better, from here on in, forever.

Congratulations, by the way.

When young, we’re anxious – understandably – to find out if we’ve got what it takes.  Can we succeed?  Can we build a viable life for ourselves?  But you – in particular you, of this generation – may have noticed a certain cyclical quality to ambition.  You do well in high-school, in hopes of getting into a good college, so you can do well in the good college, in the hopes of getting a good job, so you can do well in the good job so you can….

And this is actually O.K.  If we’re going to become kinder, that process has to include taking ourselves seriously – as doers, as accomplishers, as dreamers.  We have to do that, to be our best selves.

Still, accomplishment is unreliable.  “Succeeding,” whatever that might mean to you, is hard, and the need to do so constantly renews itself (success is like a mountain that keeps growing ahead of you as you hike it), and there’s the very real danger that “succeeding” will take up your whole life, while the big questions go untended.

So, quick, end-of-speech advice: Since, according to me, your life is going to be a gradual process of becoming kinder and more loving: Hurry up.  Speed it along.  Start right now.  There’s a confusion in each of us, a sickness, really:selfishness.  But there’s also a cure.  So be a good and proactive and even somewhat desperate patient on your own behalf – seek out the most efficacious anti-selfishness medicines, energetically, for the rest of your life.

Do all the other things, the ambitious things – travel, get rich, get famous, innovate, lead, fall in love, make and lose fortunes, swim naked in wild jungle rivers (after first having it tested for monkey poop) – but as you do, to the extent that you can, err in the direction of kindness.  Do those things that incline you toward the big questions, and avoid the things that would reduce you and make you trivial.  That luminous part of you that exists beyond personality – your soul, if you will – is as bright and shining as any that has ever been.  Bright as Shakespeare’s, bright as Gandhi’s, bright as Mother Teresa’s.  Clear away everything that keeps you separate from this secret luminous place.  Believe it exists, come to know it better, nurture it, share its fruits tirelessly.

And someday, in 80 years, when you’re 100, and I’m 134, and we’re both so kind and loving we’re nearly unbearable, drop me a line, let me know how your life has been.  I hope you will say: It has been so wonderful.

Congratulations, Class of 2013.

I wish you great happiness, all the luck in the world, and a beautiful summer.








テーマ : 英語学習記録
ジャンル : 学問・文化・芸術

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