幸福というものは

「幸福というものは
ささやかなもので、
そのささやかなものを愛する人が、
本当の幸福をつかむ。」
という亀井勝一郎さんの言葉が好きで、
好きな格言としてノートに書き留めている。
2012年この4月から、
生まれ故郷の横須賀にUターン引っ越してから齋藤圭子は本当に幸せで、
生まれ故郷の横須賀にUターン引っ越してから齋藤圭子は本当に幸せで、
横須賀が好きすぎて
その街に今住めている事に感謝しすぎて死ぬるとか思っていた。
モラロジーの冊子で皆に好かれているおばあちゃんの話しを読んだ事がある。
そのおばあちゃんは自分の息子達ばかりかその嫁達からも大人気で、
「ずっとうちに居て下さい」と全ての家から言われるので、
3ヶ月毎に孫家族の家を転々としながら、
みんなと暮らしているそうだ。
そのおばあちゃんの口癖は
「ああ、私は幸せ!」だそうだ。
そういうおばあちゃまは、
太伯 in 横須賀の我が家の庭
インドで知り合った素敵な女の子、
あやちゃんの彼氏は、ある企業で売り上げトップの、
日本全国でも有名な営業さんで、
彼の口癖は
「幸せだなあ。」
「ありがたないなあ。」
なのだそうだ。
そういう人は、
性別の関係なくまわりからも支えられ、
太伯 at 横須賀の踏切
マスコミで働いていた時は、
「幸せだなあ」「ありがたいなあ」と言うのが口癖の
男性になんか、会った事がなかった。
そんな言葉が口癖の男性がこの世にいる事も知らなかったし
出会う機運にさえ恵まれなかった。
お金持ちで六本木ヒルズに住んで外車に乗って
でも横須賀に引っ越してビーチサンダルで街を歩いているだけで幸せで、
なんでもない商店街の景色を見渡すだけで
勝手に顔がニコニコしてきてしまうので、
誰に言われるまでもなく自然に、
私の中から
「幸せだなあ」という言葉が口をついて出た。
太伯とふたり、横須賀の色んな所を散歩する。
「あー幸せだねえ。」
「私ずっと、太伯とこんな風に横須賀を散歩したかった。」
「幸せだねえ。」
そんな風に会話しながら歩いていると、
太伯 who 屋台のかき氷を盗む寸前
休みの日に家で太伯とふたり、
朝日が当たるお台所で、浅漬けを作っていた。
まな板でお野菜をきざんで、杉の樽につけこむ。
傍らでニコニコ見ている太伯に、いつもの様に話しかけた。
「あー幸せだねえ。」
「私ずっと、こんな風に丁寧に、
太伯と横須賀で暮らしたかった。」
「そうだ太伯、亀井勝一郎さんの言葉でね、こんなのがあるよ。
幸福とは、
ささやかなもので・・・・」
言いかけた時
私は誰かに背中をぐっと押されたように
前につんのめって
「・・・・・っ。」
喉が詰まって言葉が震えた。
「・・・その、ささやかなものを、愛する者が・・・」
浅漬けを作りながら泣く女。
亀井さんの言葉が「今」にぴったりで
言葉が染み入り過ぎて震えた。
太伯に教えてあげたかったから頑張って最後まで言った。
「・・・本当の幸福を掴む。・・・んだって。。。」
泣きながらしみじみ、複雑な事を思った。
なぜ、
放送作家時代は、なぜ、この本当の意味に気付かなかったろう?
そして自分の家族に対しても思った。
なぜ 私の母は
なぜ 私の母は
その「ささやかなもの」を愛さなかったろう?
「ママはね、今度フランスに行くの。
今度船で世界一周をするの。
今度こういう活動をして、こういう功績を立てて、立派にやってるの。
すごい活動をしているの。
いつも女優並みに忙しいスケジュールなの。」
いつもいつも、
太伯 at 御簾前
ママ、大丈夫だよ。
青い鳥は外の世界のどこかにいるんじゃない。
おうちにいるよ。
圭子、青い鳥がどこにいるか知ってる。
こっちだよ。
おうちで皆で、家族そろってごはん食べよう。
小さい頃私が
心が張り裂けそうに叫んでいたそのメッセージも、
ずっと届かず、
母はいつも外の世界を目指している。
でも、幸福とは、ささやかなもので。。。
そのささやかなものを愛するものが
太伯 at 御簾前振り替え美人
横須賀だけが素晴らしいのではなく、
誰が住むどの小さな町にも、
神様が作った素晴らしい朝日と
なんでもない詩の様なワンシーンがある。
という訳で引っ越しで長らくお休みしていたブログを
また書き始めたいと思います。
横須賀の齋藤圭子&太伯をよろしくお願いいたします。
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